酒井隆史著 講談社現代新書(2021年出版)
過去の投稿
書評「ブルシット・ジョブ」あなたの仕事に社会的意味はありますか?
最近「ブルシット・ジョブ」がDXのせいでさらに増えている気がする。
もう一度原作の「ブルシット・ジョブ」を読もうと図書館を探していたら、この著書を見つけました。知らなかったのですが、原作の著者デヴィット・グレーバー氏は出版後59歳の若さで亡くなられていたのですね。これからのご活躍が期待されていた方で大変残念です。合掌。
本書は、原作を翻訳した酒井氏が日本人向けに、グレーバーが伝えたかったことをよりわかりやすく解説したいとの思いで執筆したものです。
私にとって興味深かったのは、コロナ前に執筆・出版(日本版は2020年7月出版)された名著「ブルシット・ジョブ」に書かれていたことが、コロナ禍を経てどう実証されたかの答え合わせが含まれていたこと。
名著「ブルシット・ジョブ」をおさらいします。
Bullshit=「たわごと」「でたらめ」「ふざけんな!」
その業務がなくても会社も社会も困らないクソ仕事
注:米国の職場では決して使ってはいけないワード
極端な言い方をすると「ホワイトワーカーの仕事の多くはブルシット・ジョブに陥っていないか?それを皆わかってながらも言わずにしてはいないか?それでいいのか?」と問題提議をする刺激的な著書です。
1930年に経済学者ケインズは、20世紀末までに先進国ではテクノロジーの進化により週15時間労働が達成できるだろうと予言。結果、テクノロジーは人間をより働かせる方法を開発するために使われ、その目標を達成するための無意味な仕事が産み出された、という仮説が「ブルシット・ジョブ」論のフレームです。
新型コロナウィルスによって、世界的に経済活動が制約されました。例えばサービス産業の自粛であったり、テレワークの導入によって、経済が麻痺するかに思えました。前者は大打撃を受けましたが、テレワークについては企業の経営指標上においては影響は少なかったと思われ、企業も「テレワークでもできる」という自信を深めたと思います。
しかしブルシット・ジョブ論から考えてみると、テレワークでできる仕事の多くが、本来無意味な仕事で、だから経済に影響が少ない、という考察も必要だと思います。おそらくグレーバー氏が存命であったなら、そんな続編を執筆したのでしょう。
またコロナ禍において東京オリンピックが1年遅れで開催されました。巨額の資金が動く中で明るみになったのが、運営資金がばらまかれ、中抜きするために生まれた多くの謎の企業、ポスト。おそらくそれを成立させるために不可欠であろう「ブルシット・ジョブ」が生まれたこと。非常にわかりやすい事例ですよね。
一方、医療従事者などの「エッセンシャルワーカー」はブルシット・ジョブよりも一般的に低い待遇、かつ危険な環境で最前線でフル回転を余儀なくされました。このような歪みに矛盾を感じずにいられません。
そう考えるとテクノロジーの発展が向かっている先は、人々を楽にするというより、無駄にこれまで必要のなかったものを産み出しているんじゃないか、とも疑う目も必要になってきます。
本書で紹介されていた南の島の住民の話が象徴的。
彼らは昼間からビーチで寝そべる暮らしをしています。そこにヨーロッパから来た旅行者が「君たちはそんなに怠けて、ちゃんと働きなよ。」と言います。住民が「何のためにだい?」と問うと、旅行者は「こうして昼からビーチでのんびりできるだろう?」と答えます。「いや、それ俺たち今やってることやん!」と住民がツッコんでオチる話。私もよく「仕事放り出して南の島に行きたいなー」とか言ってしまいますが、南の島の昼寝と引き換えにするためだけの仕事であれば、あまりに辛すぎます。自分にとって幸せとは何か?自分にとって意味のある仕事は何か?改めて考える機会となりました。将来、起業を考える際にももう一度読み直そう。
グレーバー氏が遺してくれた課題を、翻訳者酒井氏自らが解説してくれる本著、是非読んでみて下さい。
想像力を拡げ、よりよい明日にしましょう!
過去の投稿