【書評】人新世の「資本論」 斎藤幸平著 〜 SDGsはアリバイ作り?〜

2020年9月出版の本著、ようやく読むことができました。

「人新世」ひとしんせい、と読みます。資本主義が産み出した人工物の負荷や矛盾が地球自身にダメージを与える時代を、マルクスの「資本論」の新たな解釈で軌道修正できないか、という問題提起を行う内容。

地球温暖化対策のひとつとしてSDGsというワードがあっという間に身近になりましたが、それが単なる気休めで根本的な解決策とはならない、との主張です。SDGsを語る上では、この本を通っておいたほうがよいと思います。

スティーブ・ジョブズがiphoneという世の中を変えるギアを発明してから生活は便利になりましたが、人類は幸せになったのでしょうか?文明の進化が、人類の幸福につながっているのか正解はわかりません。昔、産業革命が起こったころの進化は、劇的な効率化や発展を伴い、生死にかかわるものでしたが、iphoneが産み出した進化は、極論すれば過剰、なくても生きて行ける進化?

かくなる私もapple信者なので、その便利さの享受を受けていますが、多くの時間をネットやスマホに奪われて、人間らしい生活が増したかというと疑問です。

本著では、富裕層・先進国の発展は、貧しい国へのしわ寄せとなり、近代ではそのしわ寄せが加速しすぎ、もはや寄せる余地がなくなり、地球自身にしわ寄せが行った結果を「地球温暖化」としています。ふと、昔学校で「エネルギー保存の法則」を学んだことを思い出しました。エネルギーは形を変えても、社会全体のエネルギー質量は変わらない(ざっくりですみません)という理論です。

例えば世界ではガソリン・軽油など化石燃料の削減による地球温暖化抑止のためEV(電気自動車)がこれから主流になってきますが、結局その電気を産み出すためにはエネルギーが必要であり、現時点は化石燃料に頼る部分は多いです。では太陽光発電なら燃料を使わないだろう、という意見もありますが、太陽光パネルなどに使う原材料(シリコンなど)を発掘するために多大なるエネルギーが使われています。結局はエネルギー使用量を減らそうと思っても、世界のどこかで別のエネルギーを使うことからは逃れません。

あるいは大企業では「カーボンニュートラル」を唄い、紙からデジタルへのシフトで温暖化に貢献する取り組みがなされていますが、その分何でもかんでもデータ保存が必要になることでサーバーを増やし(クラウドでも同じです)、結果サーバーがエネルギーを消費することで行って来い(逆にエネルギー増?)になり、抜本的な解決策にはなっていないかもしれませんね。

ここまでは私も理解できましたが、本著の結論は「世界で脱成長にシフトしよう」。世界が成長を志向する限り二酸化炭素の排出スピードは、遅らせることはあれど減ることはないと。中盤からその「脱成長」の方法について述べられていますが、あまりに大きな課題すぎて、以降私の頭では付いていけませんでした。

ロシアのウクライナ侵攻のように一部帝国主義が復活する中、「我が国は成長をやめます」と勇気を出して言える国は現れるのでしょうか?日本がやるかな?

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