ナゴヤ球場 伝説の10月8日決戦。

PexelsによるPixabayからの画像

私にとって、今日10月8日は

2つの理由でいい日ではありません。

父親の命日

私の父は、58歳と若くして亡くなりました。

48歳の時にくも膜下出血で生死をさまよってから

奇跡の生還を遂げた父でした。

私が27歳の時、

これから恩返しをしなきゃと思っていた矢先。

大したことのない腸の病気で

検査入院程度だと思っていたら、

突然10月7日に病院から

もう長くないからと、呼び出しを受け、

翌朝8日に亡くなりました。

なんでもっと親孝行しておかなかったんだと、

悔やんでも悔やみ切れません。

すみません。暗くなっちゃいましたね。

こっちが本題「中日vs巨人 伝説の10・8決戦」

私は子供の頃から中日ドラゴンズのファンでしたが

忘れもしない1994年10月8日。

ドラゴンズとジャイアンツが129試合目で

69勝60敗同士で、全くの同率首位。

ナゴヤ球場で、最終試合で直接対決、

勝ったほうが優勝、というとんでもない

試合になりました。

結果は、ドラゴンズのエース今中慎二から

ドラゴンズからジャイアンツに移籍した

落合博満がホームランを打ったせいで

ジャイアンツの優勝、となったわけです。

その後、落合選手は中日ドラゴンズの監督となり

常勝集団を作り上げたのは皆さんも知るところですが、

私は10・8の怨念から、

どうしても中日を裏切った落合は許せなかったのと

その数年後、奇しくも同じ日に

ドラゴンズファンだった父が亡くなったこともあり

ファンから離れてしまったのですが、

実は、

落合のホームランで負けた

は私の誤解だったのを今になって気づきました。

10・8決戦のことを今回調べてみたら、

落合のホームランは2回の先制のソロで

決勝点は3回に打ったタイムリーヒット、

かつその裏の守備で怪我して退場していたんですね。

うわー、全然覚えてない。

負けたショックと、その後ドラゴンズを嫌いになったせいで、

全然記憶がねじ曲げられていました。

あの日の両軍の選手達の気迫は

凄まじいものでしたね。

あの松井秀喜選手がまさかの送りバントをしたり、

クールな落合選手がケガも厭わず全力でプレーしていた映像が、

今27年ぶりによみがえりました。

落合さん、ゴメンナサイ。許します。

あんな熱い試合を、また観たいものです。

そして、親父が亡くなる2ヶ月前に生まれた長男が

(父にとっての初孫、会わせられたことが唯一の親孝行)

愛知県民でもないのでなぜか今、

大のドラゴンズファンという不思議。笑

それでは、また明日!

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